ロケットマン
久し振りに映画を観ました。
自分ではおそらく選ばないであろう、「ロケットマン」。
一緒に観た人と2人で選びました。
普段選ばない物を選ぶ。
それだけで、わくわくです。
エルトン・ジョンの半生を描いたノンフィクション映画でした。
ここからは多少ネタバレにもなりますので、読まれる時はお気を付けください。
滅多に家に帰らない父に、ハグして欲しいとずっと願っていた子どもの頃。
その深い思いを心の底に残したまま大人になり、心を許した人とのすれ違いは人一倍の凶器となって彼に襲いかかりました。
1番助けて欲しい時に、その人は去ってしまう。
しかも、2度も。
でも、素直になれません。
苦しみから逃れるために、ドラッグ・処方薬・セックスの中毒となって、遂には公衆の面前で自殺を図ります。
その後、カウンセリングで乗り越えます。
「寂しさ」は、色んな物が歪んで見える色眼鏡なのではないでしょうか。
深まれば深まるほど、その隙間を満たそうとするけれど、それは相手への期待となり、思い通りにならない焦りや裏切られたと感じる気持ちとなる。
そして、根が優しければ優しいほど、人を信じられない、優しくできない自分を責めて、自己嫌悪に陥るのではないでしょうか。
「優しい」という定義は難しいですが、ここでは自己犠牲的な意味でも使っています。
私は、この映画を観て、この「寂しさ」にとても共感しました。
私自身もずっと仕舞っていて、何かある毎に顔を出して邪魔をします。
エルトン・ジョンは、最後は人に頼る事なく1人で乗り越えました。
どうして乗り越えられたのでしょう。
私は、すれ違ってしまった人の存在があったからなのではないかと思いました。
その人を裏切ってしまった事で、もう誰も頼れなくなり、依存心が無くなったのではないでしょうか。
人へ期待しているうちは、本当のパワーは湧いてこないのです。